ビニールの城 雑感
こんにちは。まりもりです。
ビニールの城、シアターコクーンにて絶賛上演中です!
始まってしまえばあっという間に終わってしまうのが舞台という世界。
だから、忘れたくないから、忘れないためにも
こうしてblogという小さな世界に思い出を書き綴っておこうと思うのです。
今日はひとまず雑感を。
(軽くネタバレ)
失われたものへ思いを馳せる時間がたぶん人よりもちょっと長いのかもしれないと、最近ようやく気付いたけど、やっぱり出来れば失う前に気付く方がいい訳ですけども。
アングラって私の中では割と親近感を覚える言葉で。
何せバリバリの昭和生まれだし、どこかの参道にずらりと並んだ屋台の中、ろくろっ首の絵が描かれた看板を掲げる小屋の佇まいが遠い記憶の中に薄っすらと残ってたりもするし。
ビニールの城の初演は、廃墟になっていた浅草の映画館を使って上演されたそうで、主演は石橋蓮司さんと緑魔子さん。
それだけでも強烈に漂うアングラ臭に、この初演舞台をだれか頼むから見せてくれと願わずにはいられないです・・・!
緑魔子さんと言えば、私の中では『盲獣』のヒロインで、とにかく綺麗で可愛くて色気の権化みたいな人だと勝手に思ってたんですよ。
その役を宮沢りえちゃんが演じると知って、驚きました。
全くタイプが違うと思ったし、りえちゃんにはあんまりアングラ臭を感じなかったし。
しかしですよ。
とくれば、ちょっと話は変わってきますよ!!
ちょっと変わってはくるけれど、そうすると今度は
森田さんとりえちゃんって組合せが、あまりにも異次元過ぎて想像を絶してしまうという事態に(笑)
アクの強い森田さんと、真っ白で透明なイメージのりえちゃん。
この2人が同じ板の上に立っている姿がどうしても想像出来なくて。
ざわざわとしているうちに初日を迎えて・・・
幕が開くと、そこには
蜷川版・朝顔とモモが立っていました。
そうだ。そうだった。
たかだか1年半、森田さんの舞台を観なかっただけで私は忘れてしまっていたのか。
板の上に立つ森田剛を。
それはどんな役であっても、全てを自分のもとに引き寄せ、まるでその役の人間そのものがそこに静かに息づいているように感じさせる稀有な存在であるということを。
人と接する事が苦手で、腹話術の人形を自分の相棒として、ただただ四畳半のアパートで練習に勤しむ朝顔の健気さ。
部屋に元々置いてあったというビニ本の表紙の女性に恋をしてしまう朝顔の純真さ。
そしてその本を覆うビニールを破くことが出来ない朝顔の臆病さ。
そんな朝顔を、隣の部屋からじっと見つめていたモモ。
自分が表紙のビニ本に愛を囁く朝顔を好きになってしまったモモ。
本当の自分を明かせずに、サングラスをかけてそっと朝顔を支えていたモモ。
森田剛は朝顔として、全身全霊でそのすべてを生きていて、宮沢りえはモモとして、全身全霊でそのすべてを生きていて。
そんな二人の透明な魂がぶつかり昇華した時、彼らの魂の欠片は私達を慈雨のように包み込む。
涙が止まらないのはきっとそのせいだ。
少女の心のままビニールの城に閉じ込められたモモと
子供の心のまま大人になってしまった朝顔は
自分たちを隔てる薄いビニールのような膜すら、破く術を知らない
切ない・・・(号泣)
いや、唐十郎さんは切ない話を書きたかった訳じゃないかもしれないけれど、森田剛と宮沢りえが永遠にすれ違う至上の恋愛物語を演じたら、どう転んだって切なくなるしかないですよーーうわーーん!!
蜷川さん、どんなにか観たかっただろう。
いや勿論、観て下さってるでしょうけども。
この美しい物語の感想を、すっきりとした言葉にすることは出来そうもありません。
でも、思った事を書いておかないと、あの舞台の煌きを少しでも覚えておくために書いておかないと。
萌えまみれの感想も、自分勝手な解釈も、とにかく少しずつでもいいから書いておこうと思います。
まりもり。